昭和時代の西武鉄道 2両編成 多摩川線の571系と451系 1983.5.29(4)

451系 571系 クハ1651形

写真をタップすると1800×1200pxサイズでご覧いただけます。

83年5月29日(日)の撮影行の3回目

第1~3回はこちらです。


武蔵境へ。
国鉄中央線の下り線の反対側、3番ホームが多摩川線でした。
571系575Fクハ1576。 武蔵境 1983.5.29
この頃の多摩川線はラッシュ時は2+2編成、日中は2両編成でした。

各編成は2+2編成を組む時に是政側・武蔵境側のどちら側に連結されるかが決まっていて、連結側にのみ電連を取り付けていました。

このクハ1576は電連が無く、2+2編成を組む時に是政側に連結される編成です。


571系575Fクモハ575。 武蔵境 1983.5.29
ワンマン運転ではないので車掌氏が乗務。
武蔵境側のクモハ575は電連付きです。


旧駅名「多磨墓地前」・「北多摩」が表示された路線図。 武蔵境 1983.5.29 
「多磨墓地前」は「多磨」、「北多摩」は「白糸台」へ2001年に変更されました。
時刻表の下の赤文字の注意書きは「お彼岸・お盆の休日には一部時刻の変更もあります。」

武蔵境に到着する451系457Fのクモハ457。 武蔵境 1983.5.29
画面右側に写っている「2両編成」の掲出物を新鮮に感じました。

451系457Fのクハ1658。 武蔵境 1983.5.29 
ネガが終端に達して、画像が切れてしまいした。

ここから白黒フイルムへ。
国鉄201系と451系457Fのクハ1658。 武蔵境 1983.5.29 
国鉄との乗り換えが楽な駅構造でした。
457Fは83年春まで狭山線で、4月には国分寺線で運用に入っていました。

武蔵小金井区所属の101系05Hによる快速東京行き。  武蔵境 1983.5.29
ピンボケ…まあ、駅の雰囲気が分かるので…。

「只今の時間2両です。三鷹よりでお待ちください。」 武蔵境 1983.5.29
詰所の室内には、掲出物の反射と重なるあたりに「発車前天文台踏切閉鎖 確認押ボタン」と書かれた、乗務員室内の車掌スイッチのような形のボタンが見えます。
天文台踏切は武蔵境駅西側の踏切です。

国鉄2番ホーム・西武線3番ホーム上の詰所。ホームの端に見えるのが天文台踏切。 武蔵境 1983.5.29

天文台踏切を渡って武蔵境に到着する451系461Fクモハ461。 武蔵境 1983.5.29

451系461Fのクハ1662。元601系605Fのクハ1606号車。 武蔵境 1983.5.29

クハ1662の連結器。ブレーキ管だけがつながる旧国タイプ。  武蔵境 1983.5.29
クハ1662は、旧国タイプの密連を装着した唯一のクハ1651形でした。
この点についてはこちらをご覧ください。

武蔵境を出発する451系461F。クハ1662+クモハ461の2両編成。 武蔵境 1983.5.29
西武のホームが短かったため、ホーム端からはこんな写真が撮れました。


最初の写真と同じ575Fがまた来ました。

10両編成の国鉄中央線と2両編成の西武多摩川線。多摩川線の車両は571系575F。 武蔵境 1983.5.29

武蔵境を出発する575Fクハ1576。 武蔵境 1983.5.29
駅員さんが合図を送ります。


再びやってきた457Fも白黒フイルムでパチリ。
西武多摩川線。日中は2両編成。451系457Fのクモハ457。 武蔵境 1983.5.29

今見ると、のんびりしていたなあと思います。

このあと国分寺へ向かいました。
次回へ続きます。

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