はじめに
701系グループの車両は様々な編成を組んで運転されました。
編成についての資料になればと思い、701系グループのつなぎ方をまとめました。
皆様の研究の写真資料になれば幸いです。
701系グループの編成概要
701系グループ(401・新501・701・801・新101)は2両・4両・6両の3種です。
2:401系、新501系
4:701系、801系、新101系
6:701系6両固定
3種を組み合わせて2両・4両・6両・8両・10両の列車が運転されました。
2両編成の401系と新501系は計22編成あり、共通運用されていました。
401系 19編成 401F~437F
新501系 3編成 501F~505F
701系6両固定編成は10編成でした
701F・703F・705F・707F・709F
711F・713F・785F・787F・789F
ブログタイトルの80年代の前半には、ほとんどの車両はこの時期に新宿線所属でした。
池袋線にも少なくとも84年2月までは701系4両編成が数編成所属していました。
記憶
2・4・6両編成の組み合わせをすべて挙げて色分けしました。
写真がある
写真は無いがこの編成はあったと思う
見たことのない編成
赤色については私は見たことがないという意味です。
赤色を付したつなぎ方の編成は存在しなかったなどと断じる意図はありません。
2両の列車
2両
4両の列車 4両
2両+2両
6両の列車
西武新宿←6→本川越
西武新宿←2+4→本川越
西武新宿←4+2→本川越
西武新宿←2+2+2→本川越
8両の列車 西武新宿←6+2→本川越
西武新宿←2+6→本川越
西武新宿←4+4→本川越
池袋 ←4+4→飯能・西武球場前
西武新宿←2+2+4→本川越
西武新宿←2+4+2→本川越
飯能←4+2+2→西武秩父・池袋
西武新宿←2+2+2+2→本川越
10両の列車
西武新宿←4+6→本川越
西武新宿←6+4→本川越
西武新宿←2+4+4→本川越
西武新宿←4+2+4→本川越
西武新宿←4+4+2→本川越
西武新宿←6+2+2→本川越
西武新宿←2+6+2→本川越
西武新宿←2+2+6→本川越
西武新宿←2+2+2+4→本川越
西武新宿←2+2+4+2→本川越
西武新宿←2+4+2+2→本川越
西武新宿←4+2+2+2→本川越
西武新宿←2+2+2+2+2→本川越
上の区分で空色を付した編成の例として、写真とリンクを掲載します。
2両の列車
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野球開催日に運転された臨時準急西武遊園地行の西武401系。 八坂-武蔵大和 1987年夏 |
多摩湖線萩山~国分寺間は国分寺駅のホーム長の制限ゆえに17m車×3両の赤電351系が90年まで残ったほか、20m車×2両が運転されていました。
85年より野球開催日に国分寺~西武遊園地間の直通臨時列車の運転が始まり、赤電351系が準急札を下げて走る姿が話題となりましたが、401系や新501系の2両編成も同じ運用に入りました。
2両の列車
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西武401系2両編成による西武遊園地発の急行1824列車。 武蔵大和 1986.3 |
西武遊園地~萩山間だけ2両で運転し、萩山で後方に拝島発の列車を連結して西武新宿に向かいます。
急行札を下げていますが駅を通過するのは田無から先のことで、西武遊園地~萩山間は各駅に停車します。
撮影駅は武蔵大和という、戦艦名を2つ足したイメージとは真逆のこじんまりした駅。
東京都内に2両編成の急行が走り、停車駅は「武蔵大和」って、アンバランスさが面白いですね。
余談ながら車掌氏の足元に「3」という停車位置表示が見えるのは、野球開催日の臨時西武遊園地発国分寺行きの351系用と思われます。
4両の列車
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西武801系4両による上り普通列車。 都立家政 1983.6.7 |
この写真を撮った時は普通列車8両対応工事のため上り方にホームを延伸工事中でした。
4両の列車(2+2)
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新501系×2による西武新宿発本川越行普通207列車。 新所沢-入曽 1984.7.11 |
当時新宿線には701系グループの2両編成が401系19編成、新501系3編成の計22編成あって共通運用でした。
この日の207列車は新501系×2でしたが、その確率は3/22×2/21=6/462=0.012…と約1%の珍しい組み合わせです。
4両の列車(2+2)
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国分寺線で運用される西武401系の2+2編成。 東村山 1984.7.1-7 |
401系や新501系の2+2編成は本線で定期的に見られたほか、支線でも見られました。
国分寺線でこの編成が運用されているのを見たのはこの時だけです。
多摩湖線小平~西武遊園地間のシャトル運行に入っているのは見ましたが撮ったことはありません。西武園線では見たことがありません。
6両の列車(6両固定編成)
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所沢を出発した下り準急新所沢行きの西武701系6両固定編成。 所沢-新所沢 1984.3 |
航空公園駅はまだ開業しておらず、次は終点新所沢。
車内アナウンスを終えた車掌氏が早くも幕を回し始めています。
右手奥の線路は新所沢まで真っすぐです。
6両の列車(西武新宿←4+2→本川越)
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西武401系を先頭にした2+4編成による急行271列車。 東伏見-西武柳沢 1984.5.11 |
この当時2連は編成の中間又は上り方に連結されることがほとんど。
そんな中で271列車は下り方に2連を連結し、しかも急行。
401系を先頭にした前パン編成は電気機関車のようで、本線を疾走する姿は魅力的でした。
6両の列車(西武新宿←2+4→本川越)
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西武401系435F+701系763Fによる西武園発東村山行。 東村山 1982.10 |
普段は4両編成が行ったり来たりする西武園線には、競輪開催日には6両編成や西武園駅ホーム長一杯の8両編成の列車がやってきました。
写真は上り2番ホームで、このホームから西武園行は発車しません。
東村山から上り方面に回送で向かうために行先幕を回し始めたところと思われます。
6両の列車(西武新宿←2+2+2→本川越)
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西武401系を3編成連ねた2+2+2の回送8233列車。 東村山 1984.7 |
通常は2連を4編成を連ねて2+2+2+2ですが、競輪開催日は2+2+2の6両でした。
8両の列車(西武新宿←6+2→本川越)
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西武園発快速急行西武新宿行の西武401系+701系6両編成。 東村山 1983.3 |
401の前パン快急の写真は手元にはこれ一枚のみです。
8両の列車(西武新宿←2+6→本川越)
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西武新501系+701系6両編成の下り列車。 新井薬師前-沼袋 1984.3.13 |
新501の外見上の魅力はパンタグラフと上り方奇数車の床下のずらりと並んだ抵抗器だと思うので、両方が見えるこの角度は好ましいです。
8両の列車(4+4)
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西武701系+新101系の急行本川越行。 所沢-新所沢 1984.7上旬 |
この時所沢駅では、画面左に写っている新宿線上り線と池袋線上り線が面しあう2番・3番ホームの拡幅のため、新宿線上下間の中線を新2番線として整備しているところです。
後日、旧2番線の線路が撤去され、その上にホームが拡幅されました。
8両の列車(4+4)
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西武701系+701系による休日ダイヤの急行池袋発西武秩父行。 所沢-西所沢 1983.5 |
少なくとも1984年2月までは池袋線に数本の701系が所属しており、池袋線や狭山線で運用されていました。
写真は49列車で、西武秩父到着後は「奥武蔵」ヘッドマークを取り付けて折返し快速急行池袋行1602列車となりました。
8両の列車(西武新宿←2+2+4→本川越 )
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西武401系+401系+701系による急行本川越行229列車。 小平-久米川 1984.4 |
萩山で分割される拝島・西武遊園地行にもこの組成が見られました。
8両の列車(西武新宿←2+4+2→本川越)
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西武401系+701系+401系による2+4+2の8両編成です。 所沢 1982.1.15 |
8両の列車(飯能←4+2+2→横瀬・池袋)
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西武401系+401系+701系。417F+411F+757Fの4+2+2編成 横瀬 1996.10.12 |
96年に横瀬にて開催された「さよなら701系・401系イベント」では池袋~西武秩父間に4+2+2編成が運行されました。
新宿線でいえば 西武新宿←4+2+2→本川越 となる編成を見たのはこの時だけです。
8両の列車(西武新宿←2+2+2+2→本川越)
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西武401系+401系+401系+新501系の2+2+2+2による全電動車8M編成の上石神井発南入曽行回送8233列車。 所沢 1984.7.10 |
南入曽に10時30分頃に到着する列車で、この日は前後どちらから見ても前パン編成でした。
10両の列車(西武新宿←4+6→本川越 )
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西武801系+701系6両による10両編成。 小平-久米川 1985.6 |
なぜか雨の日。
10両の列車(西武新宿←6+4→本川越)
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西武701系6両+701系4両による本川越発西武新宿行急行212列車。 鷺ノ宮 1985.7.13 |
「西武新宿←6+2+2→本川越」の項の通りこの列車は下り方に2両編成が2本連結されるのですが、この日は4両編成でした。
10両の列車(西武新宿←2+4+4→本川越)
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西武401系+701系+4連による上り急行。 新所沢-入曽 1984.7.11 |
先頭の連結器がグイッと右を向いているのが懐かしい感じです。
10両の列車(西武新宿←4+2+4→本川越)
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西武新101系+新501系+不明の4両による拝島・西武遊園地発の急行西武新宿行814列車。 田無 1984.3月上旬 |
先頭の新101系は電気連結器カバーが黄色い新宿線用の車両で、前面窓周りは新製時と同じベージュ。
新101系の前面は、この頃出場時に順次濃い色に塗り替えられていました。
10両の列車(西武新宿←6+2+2→本川越)
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西武401系+401系+701系6両の10両編成。回送で南入曽へ下る8223列車。 西武新宿-高田馬場 1984.7上旬 |
上り急行212列車の折り返しでした。
10両の列車(西武新宿←2+2+6→本川越)
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中線撤去中の所沢駅に進入する西武701系6両+401系+401系。 所沢 1984.7.10 |
10両の列車(西武新宿←2+2+2+4→本川越)
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西武401系+新501系+401系+701系による上り急行822列車。 新井薬師前-沼袋 1984.3.13 |
西武遊園地発1822列車の2+2編成の後ろに、萩山で拝島発の2+4編成が連結されます。
写真は無いがこの編成はあったと思う
次に、「写真は無いがこの編成はあったと思う」のは次の編成です。
西武新宿←4+4+2→本川越
この編成は83年12月のダイヤ改正で新宿線で運転されていました。
「西武新宿←4+2→本川越」の項にある急行271列車が本川越で折り返して上り急行280列車となり、上石神井で西武新宿方に4両を増結してこの編成となりました。
その後西武新宿から下り急行893列車となり、萩山で拝島行前6両と西武遊園地行4両に分割されます。
見たことのない編成
最後に、見たことのない編成を挙げます。
西武新宿←2+6+2→本川越
西武新宿←2+2+4+2→本川越
西武新宿←2+4+2+2→本川越
西武新宿←4+2+2+2→本川越
西武新宿←2+2+2+2+2→本川越
池袋線の場合次のようになります。
飯能←2+6+2→池袋・西武秩父
飯能←2+2+4+2→池袋・西武秩父
飯能←2+4+2+2→池袋・西武秩父
飯能←4+2+2+2→池袋・西武秩父
飯能←2+2+2+2+2→池袋・西武秩父
84~5年にかけて本川越方に2連が連結される列車を個人として調査したことがあり、その時にこれらの編成が見いだせなかったことが赤色を付した理由です。
追記
記事公開後、当方が鉄道趣味から遠ざかっていた80年代後半~90年代に見られた701系グループの組成について先輩方よりお知らせをいただきました。
2+2+2+2+2以外はすべてあったと思うという方もおられ、2+6+2又は2+2+4+2と思われる編成の写真を見せて下さった方もおられます。
すごいですね!大変勉強になりました。
この場を借りて感謝申し上げます。
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