西武鉄道 2000系2400番台 2+2編成デビューの頃

2000系 351系 551系 所沢 所沢車両工場 上石神井 新101系 東村山 南入曽

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2000系2400番台による2+2の4両編成。赤電551系と並びました。 東村山 1983.5.29
2000系2400番台による2+2の4両編成。赤電551系と並びました。 東村山 1983.5.29

この項では、2400番台デビュー当時のことを振り返ります。

新宿線普通列車8両編成化

新宿線の混雑緩和のため、普通列車の8両編成化が83年に行われます。
新宿線各駅停車8両編成化を告知する車内吊り広告。 1983.6.4
新宿線各駅停車8両編成化を告知する車内吊り広告。 1983.6.4
この頃列車種別としては「普通」でしたが、この広告では「各駅停車」と記されています。

上石神井駅の朝ラッシュ時の上り列車両数の掲示。普通列車は6両でした。 上石神井 1983.6.5
上石神井駅の朝ラッシュ時の上り列車両数の掲示。普通列車は6両でした。 上石神井 1983.6.5
 
ホーム延伸工事中の下落合駅。踏切(歩行者通行中)を廃止すると共に西武新宿方に新設してホーム用地が確保されました。 下落合 1983.7.12
ホーム延伸工事中の下落合駅。踏切(歩行者通行中)を廃止すると共に西武新宿方に新設してホーム用地が確保されました。 下落合 1983.7.12

2000系2両編成2400番台の登場

普通列車8両運転に対応するため、2000系については電気連結器の装着のほか、8両固定編成と増結用2両編成が、車両の新製と編成組み換えによって準備されました。
2000系はこの当時1977~79年に新製された2001F~2033Fの17編成がありました。
全て6両固定編成で、連結相手がいないので電気連結器も装着されていませんでした。

まず増結用2両編成が4編成新製され、2400番台2401F~2407Fの4編成となりました。
この4編成は2+2編成を組んで当初使用されていました。
いつから運用されていたかは分かりません。最初に私が見たのは83年4月11日で、編成は西武園←2405F+2403F→東村山でした。写真はありません。その後、4月19日に最初に撮影しました。

2000系2400番台の2+2編成による西武園線。手前から2405F+2401F。 東村山 1983.4.19
2000系2400番台の2+2編成による西武園線。手前から2405F+2401F。 東村山 1983.4.20
初めて見た日以降、編成を組み替えたようです。

2両編成の製造と同時期に、旧2031Fと2033Fを種車とした編成の組み換えも行われました。
それらの編成は中間電動車MM’ユニット4組とクハ4両に分けられました。

旧2031Fモハ2232号車。 南入曽車両基地の外から撮影 1983.6.25
初代2031Fモハ2232号車。 南入曽車両基地の外から撮影 1983.6.25

旧2031F。クハが切り離されて中間車4両で留置されていた。 南入曽車両基地の外から撮影 1983.6.25
初代2031F。クハが切り離されて中間車4両で留置されていた。 南入曽車両基地の外から撮影 1983.6.25
2031Fと2033Fの中間電動車MM’ユニット4組は2300番台に改番されて2001F~2007Fに組み込まれて、それらの編成の8両編成化に寄与しました。
こうして8両固定編成が4編成できました。

2031Fと2033Fのクハ4両は、上り方車両を方向転換して2400番台のクハとなり、新製された上り方のクモハの4両とペアを組みます。
こうして2409F~2415Fができました。

製造中の2000系2400番台のクモハ(右側)。 所沢車両工場の外から 1983.6.25以降
製造中の2000系2400番台のクモハ(右側)。 所沢車両工場の外から 1983.6.25以降
車番が分かりませんが、6月29日には2407Fが営業運転についているのを確認しているので、このクモハは2409F~2415Fのいずれかのクモハの可能性が大きいです。その場合、左は初代2031F又は2033Fのクハと思われます。



2000系の編成の移り変わりをまとめると以下の通りです。

2000系6両固定編成×17本
6両固定編成×15本+組換え用6両×2本(MM’ユニット×4+先頭車クハ×4)+新製12両(2両編成×4とクモハ×4
8両固定編成(6両+MM’ユニット)×4本+6両固定編成×11本+2両×8本

こうして当時唯一の4ドア車である2000系はわずか12両の新製によって、8両固定編成×4本と、6両+2両による8両編成×8本の、最大計12本の8両編成列車を供用可能となりました。

2000系2400番台 2+2編成の写真

2両編成の2000系2400番台はデビュー当初、2つあわせて4両編成として、国分寺線と西武園線で運用されていました。

西武園線の2000系2+2編成。手前から2401F+2405F。国分寺線は255F。 東村山 1983.6.18
西武園線の2000系2+2編成。手前から2401F+2405F。国分寺線は255F。 東村山 1983.6.18

所沢を通過する2000系2400番台の2+2編成。 所沢 1983.6.26
所沢を通過する2000系2400番台の2+2編成。 所沢 1983.6.26

2000系2400番台2+2編成同士の並び。手前側より2405F+2401Fと2407F+2403F。 東村山 1983.6.29
2000系2400番台2+2編成同士の並び。手前側より2405F+2401Fと2407F+2403F。 東村山 1983.6.29
左から回送幕の2407F+2403F、国分寺線559F、西武園線355F。 東村山 1983.7.12
左から回送幕の2407F+2403F、国分寺線559F、西武園線355F。 東村山 1983.7.12
11時30分頃、東村山では西武園線の車両交換が行われていました。西武園線で運用されていた2400×2は351系にバトンタッチ。6番線に入り、これから南入曽へ回送へ引き上げます。当時の最新鋭から古豪への車両交換です。

83年12月のダイヤ改正直前期にも2+2編成が運用されていました。 東村山 1983.11月下旬
83年12月のダイヤ改正直前期にも2+2編成が運用されていました。 東村山 1983.11月下旬

車両基地内を移動中の2000系2400番台の2+2編成。通勤準急清瀬を表示。 上石神井 1984.5.21-22
車両基地内を移動中の2000系2400番台の2+2編成。通勤準急清瀬を表示。 上石神井 1984.5.21-22
新宿線には通勤準急という種別はありませんし、この頃池袋線には2000系が配置されていなかったので、通勤準急清瀬表示は嬉しいファンサービスでした。

雑感

当時の感想は「旧型、701系列、101系列の全てに2両編成があるけど、2000系にも2両編成を作ったか。西武は2両が好きだな~」といったところで、2400の動向を追いかけることはありませんでした。

こうした2+2編成は多摩湖線で運転されたか?
西武球場での催事開催時の国分寺発所沢行き直通列車の運用に就いたか?
2409F~2415Fも2+2編成で運用されたのか?
…いずれも見た覚えがありません…

いつまで2+2編成が支線で走ったのか?
2000系の2+6編成はいつから本線で運用されるようになったのか?
…83年12月のダイヤ改正が境目という印象はあるのですが正確なところはわかりません…

西武園線で2400の2+2+2編成が運転されているのを見たという方が当時おられました。
これも私は見た覚えがありません。

諸先輩方の撮影された貴重な記録が今後拝見できるようになればと楽しみにしています。

近年運転された2000系2400番台の2+2編成

2000系2400番台の2+2編成はその後も運転されることがありました。
ご紹介します。

狭山線で運転された2000系2400番台の2+2編成。 2014.11.11 西所沢-下山口
狭山線で運転された2000系2400番台の2+2編成。 2014.11.11 西所沢-下山口
この頃は2000系の4両固定編成がレギュラーで狭山線で運用についていて、2+2編成は珍しいと思いました。編成は、西武球場前←2459F+2453F→西所沢です。

西武園駅での催事開催に伴い西武園線で運転された2400番台の2+2編成。手前から2401F+2403F。 東村山-西武園 2021.12.19
西武園駅での催事開催に伴い西武園線で運転された2400番台の2+2編成。手前から2401F+2403F。 東村山-西武園 2021.12.19
列車は西武園行ですが、行先幕が既に折り返しに備えて東村山行きに変わっています。

今後もこうした楽しい編成が運転されることを期待したいと思います。

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